弊社Y’s Publishing Co., Inc.は、1995年3月1日創業。ニューヨーク便利帳の創刊は1977年6月、つまり私は「ニューヨーク便利帳」の創刊者ではありません。私にとっての創刊号は第8版。全てを踏襲する約束で創刊者から便利帳の版権を買い、スタッフ4人でスタートしました。小さな工夫と努力を積み重ねた結果が、長きに渡り継続できた証であり、小さな社会貢献の一役を担えたことは私自身の何よりの喜びです。正直、「ニューヨーク便利帳」って凄い本だな〜と自分でも思います。

 ひとえに読者の皆様、広告スポンサーの皆様、そして便利帳を愛する全ての関係各位にこの場をお借りし、心より御礼申し上げます。

 

ニューヨーク便利帳との出会い

 1977年の創刊当時、マンハッタンにある日系企業と言えば、大手商社か銀行、サービス業では五番街に高島屋デパートがあったくらい、日本レストランも数十軒しかなかったらしい。それでも駐在員家族が年々増えていくなか、必然的に日本語媒体が出現する。私が聞いている話では、ほぼ同時期にロサンゼルスで「US Japan Business News」、ニューヨークで「OCS News」という週刊紙が相次いで創刊、80年代に入ると「エコノミック・ワールド」「イエローページJapan」「読売アメリカ」「海外駐在」「Come to America」等々、雨後の筍の如く、日本語媒体の乱立が始まる。

 80年代のアメリカの景気は決して良くはなかったが、当時の日本はバブル経済に踊り、アメリカとの貿易摩擦で問題は山積しながらも90年代前半迄の日本企業によるアメリカ進出は凄まじかった。その時代の駐在員家族のバイブルが「ニューヨーク便利帳」であったことは言うまでもない。

 渡米前の不安、心配事を挙げたらキリが無い。ニューヨークの何処に住む?日本食が買えるお店はある?子どもの学校は何処にする?銀行口座はどうやって開く?ソーシャル・セキュリティー・ナンバーって何?自動車免許の取り方は?英語学校は何処が良い?日本語が通じる医者はいる?アメリカの薬は飲んで大丈夫?地下鉄は危なくない?。。。今のようにインターネットなどない時代。誰もが知りたい、聞きたい、ニューヨークのあらゆる情報を網羅し、創刊当時は不定期ながら3年に1度のペースで発刊し続けた「ニューヨーク便利帳」。

 現発行人の私がニューヨークを初めて訪れた1989年、この便利帳を目にしたのは忘れもしない、当時ロックフェラーセンターにあった紀伊國屋書店の入口。一番目立つ店頭に10段重ね、トグロ巻きに置かれていた。後にも先にも1冊の本をあそこまで特別扱いした商品など見たことがない。当時の支配人によると、この1店舗だけで1万5千冊を売ったらしい。凄い本である。7版目の便利帳だった。

 

 私自身、建築家を夢見て1988年に渡米。いろいろなアルバイトをしながら車で全米を回り、1年間は定住せず、ホームレス状態でニューヨークに流れ着いた。観光ビザで潜り込み、英語もろくに喋れず、建築家としての経験など毛頭ない。そんな私に仕事などあるはずもなく、夢叶わなければ直に帰国するぐらいの、今思えば軽い気持ちで渡米したものの、やはり悔しかった。もう一度、ニューヨークで挑戦しよう。そう思い立ち職探しに情報誌でも買おうと、立ち寄ったのが紀伊國屋書店だった。そこで、その凄い「ニューヨーク便利帳」と出会う。店頭価格25ドル。当時の為替が1ドル=160円だったから結構高い。職探しのためになけなしのお金で購入した。先にも書いたが、80年代後半のニューヨークの景気、治安は決して良くはなく、むしろ危なかった。自動車、家電メーカーとの貿易摩擦、三菱地所によるロックフェラービルの買収、エンパイヤーステートビルも然り、マンハッタンのランドマークを日本企業が買い漁っていた時代。デマも横行していた。地下鉄で日本語を喋ると銃で撃たれる、そんな噂まで飛び交っていたのだ。

 当時、レゴ・パークの地下にあった借家に「ニューヨーク便利帳」を大事に持ち帰り、早速、職探し。目次に“日本語が通じる建築事務所”という見出しがあった。片っ端から連絡したが、すぐには仕事は見つからない。電話が駄目なら直接出向いて面接してもらおうと、巻末の企業リストをコピーして順番に企業訪問を繰り返した。数日後、ソーホーにあった設計事務所の社長から紹介を受け、小さな工務店に職が決まった。便利帳のお陰である。さらに幸運は続く。

 その2ヵ月後に応募総数300万人中、日本人枠60人。なんと5万人に1人の確率で、アメリカ永住権、第1回目の宝くじ抽選(OP-1)に当選した。渡米1年足らずで永住権を手にしたことで建築家になりたい夢はさらに広がったが、縁とは不思議なものである。実家が印刷、紙器業を営んでいたこともあり、その後、建築家とは真逆の出版社にお世話になることになり、約5年間、営業マンとして懸命に働いた。そして29歳の時に独立を決意する。「ニューヨーク便利帳」の創刊者から版権を譲渡しても良いという話があり、一悶着あった末、1995年3月にY's Publishing Co., Inc.を設立、念願の起業を果たす。そして、私自身の創刊号となる「ニューヨーク便利帳vol.8」は同年11月に完成する。一読者だった私が発行人となり紀伊國屋書店の店頭に6年前と同じ、10段重ねのトグロ巻き、神々しく飾られている姿を目にした時は、感謝で涙が止まらなかった。

 

電子版もスタート!“紙の復権”は我が社のスローガン

 あれから20余年。「ニューヨーク便利帳」は版を重ねるごとに全てにボリュームUP、今なお、健在である。

憧れの街、ニューヨークが存在する限り、「ニューヨーク便利帳」は必ず生き残る。

 5年前に「電子版 /ニューヨーク便利帳」もスタートした。確実に読者は増えている。電子版にしたことで在住者だけでなく、旅行者、出張者をカバーできたことが誠に大きい。

 

 先にも述べた通り、私は「ニューヨーク便利帳」の創刊者ではない。ただ私のアメリカ生活の原点は間違いなく「ニューヨーク便利帳」である。今や70年代生まれのアメリカ発、日本語媒体の生き残りは「ニューヨーク便利帳」ただ一誌のみ。だから大事に育てたい。まだまだ成長させたいのだ。それが振り返る20年の私自身の最大の誇りでもある。

 

 最後に、今後もいろいろな事業に挑戦したい、この一言に尽きる。小さな事業を幾度も失敗しながら、何とか20年間潰れずにやってこれたのは、“根性”以外の何物でもない。世間が羨む成長産業には決して手を出さず、常に隙間産業を追いかける。それだけは、これからも変わらない。「便利帳シリーズ」のお陰で人間ネットワークは私の想像以上に拡大した。まさに積み上げてきた“信用”である。そのいただいた信用を今後は教育事業に生かしたい。意義ある会社を10社、20社と拡大させていこう。時代は変われど、小さな社会貢献の積み重ねが、必ずやアメリカンドリームにつながることを私は信じている。

 

 

 

 

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